哲学生の日常-6

日常
YouTubeを見ること
私は最近、というか受験が終わってから、youtubeやtiktokなどのSNSに目を通さなくなってしまっ
た。
私がそんな状態になってわかったことは「SNSは見ないほうがいい!」ということではない。
私は受験を通して過度のストレスを受けた。
それのせいか、受験が終わってからも今まで楽しめていた娯楽にあまり楽しさを感じなくなってしま
ったのである。(何故だかは本当に分からない)
しかし、だから断言できるのだがSNSは面白いのである。
今の虚無感とあの時の楽しさを比べて思ったことはとにかくSNSを楽しんだほうがいい。
楽しめるうちに楽しめ。これは全ての物事に言えることだと思う。
確かに限度は必要だと思うが、純粋に楽しいと思えることは年を重ねるに連れなくなっていくのだろ
う。そんな気がする。
「楽しい」とは
「楽しい」ってなんだろう。
結局、このことに帰着する。
私は、生きていると思えること=楽しい かなと思う。
SNSでもスポーツでもなんでも良いのだ、自分がここにいる。
そう思えることがあるならそれが「楽しい」なんだと思う。
人として、人間として生きることができるか。
楽しいと思えるか。それを考える。
私は30代のおじさんではなくまだ大学生だというのだから笑えてくる。
(私は何様のつもりなのだろうか)
モラトリアムが残されている間に自分が楽しいなと思えるようなことを探していきたい。
哲学者の言葉。
今の私の気持を代弁してくれる哲学者の言葉を紹介しよう。
人生は短い。
そのわずかな時の間にも、
私たちは人生を楽しむ時間をほとんど持たない。  -ルソー
人生は短いのにもかかわらず、楽しいと思えることは日々失われていく。
そんな日々の中でも「楽しさ」を追い求め、もがくのも人生の一つのあり方だと私は思う。
(というかそれが人間の本質かも…)

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