暴力への鈍感化

エッセイ
暴力に対して鈍感になるということ
私たち学生はとりあえず教育の場で「暴力はいけない」と教わる。
しかし、社会を見てみてどうだろう。
ゲームやアニメでは暴力が溢れ、それをエンタメとしてたくさんの人々がそれを消費している。
実際には憲法9条を改正する動きがあるし、ウクライナ戦争は終わる気配はない。
そう人にとって暴力は必要なのである。
これは仕方のないことだとして人々の中に、染み込んでいる。
「暴力は必要なこと」自体が普遍の事実となっている以上、そこにはその事実の上で人は生活しなく
てはならない。
また、その人々(平和に生きる人)にとって暴力は言葉であり実体ではないのだ。
単純に「いけないもの」として扱われた暴力は商品になり資本として消費されてしまっている。
単なる概念が実体と違う形で人によって形容され、それが「事実」として一人歩きしている。
生活する上で、それは日常となり、鈍感になっていく。(抽象的で申し訳ない)
つまりは子供には暴力はいけないと言いつつ、憲法9条改正は必要だと大人は言い張ってたりする。
私も暴力の恐怖を知らない。

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